2012年11月4日日曜日

いい話_2

先回のトルコの話ほど前ではないですが、1919年(大正8年)の出来事です。

中華民国の漁民ら31人が遭難し、日本の尖閣列島に漂着し沖縄の石垣村(現在は石垣市)の人たちに看病等され、無事に皆が元気になり帰国する事ができたそうな。。。

当時の中華民国政府の外交局が 『 感謝状 』 を村民に贈ったものだそうです。

はっきりと、 「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」 と表記されています。

中華民国駐長崎領事が中華民国九年(1920年/大正9年)の五月二十日付けで書かれています。
石垣市の市史編集室に保管されているそうですね。

それが、1971年に確か 『 尖閣諸島は台湾同様、我が国の領土の一部である 』 と、言い始めましたっけ。
豊富な地下資源(石油 ・ 天然ガス等)の可能性がある、とCCOP(沿海鉱物資源調査団)が発表してからですよね。

国が違えば考え方も違うものでしょうか ? ?

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