1971年7月30日の 全日空機雫石衝突事故 (Wikipedia) から ・ ・ ・
中学生のときの事故でした。
小学6年生の時の隣の組の担任で、私の町内会の担当の先生でした。
町内会の行事には進んで参加され、私も班長だったので色々話した記憶があります。
夏休みに入って直ぐ北海道に行って、その帰りの便で事故に遭ってしまいました。
( 先生の実家だったかな? )
当初この次の便で予約していたそうなんですが、この前の57便が遅れ、そしてこの58便も遅れて発つ事になって、子供がグズって空席もあったために、この58便に乗ったと聞いてます。
一家四人が犠牲になりました。 ( 二人の子供もまだ小さかったです )
そしてこちらの家にはお婆さんが一人取り残されてしまいました。
この事故の悲惨なところは、自衛隊機の衝突で機体が空中で分解してしまった事です。
その衝突で亡くなった方もいられたと思いますが、多くは生きたまま空中に放り出された事です。
当時その事故を目撃した人は、「 叫び声をあげたまま落ちていく人を見た 」 と ・ ・ ・
数千メートル上空から地面や木々に叩きつけられれば ・ ・ ・
if もしも があれば ・ ・ ・
先日のアシアナ航空の事故もそうですが、飛行機事故は犠牲者(ケガ人)が多い事です。
1985年8月12日の 日航ジャンボ機墜落事故 (Wikipedia) も数年前の雑誌で乗客のカメラに残っていたフィルムを現像した写真が掲載された事がありました。
何かが123便に近寄って来る写真が数枚。
当時異常が発生した近くで自衛隊と米軍が訓練していた事は知られています。
墜落した機体をいち早く発見したのも米軍機。
それなのに場所がわからずに瞑想している状況がTVで報道されてましたね。
(運輸省航空局が発表した場所の他に、何故か違う場所が付け加えられ そちらを先に探していたと思いました)
時間稼ぎ ・ ・ ・ ?
墜落した機体には施されていなかった「オレンジ色?」 の金属片を処理している自衛隊員の写真が数枚。
その自衛隊員の自殺。
当時の訓練で使用していたミサイルの色も ・ ・ ・
( 当時の747は部品として 劣化ウラン も使われてましたね )
異常事態発生から御巣鷹山へ衝突するまでの飛行経路と音声がありました。
>> JAL123便飛行跡略図 <<
どちらも、日本航空史上に残る悲惨な事故です。 ( 羽田沖事故もありましたね "機長の逆噴射")
合掌
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