2011年4月4日月曜日

たられば たられば

過去の国会(2005・6年)で原発の安全性に関して、今回の福島の最初から今日現在までの流れをまさに予想していた質問がなされ、それに対し政府の答弁が出ているページがありました。


読んでもらえば理解できると思います。

※ 質問内容を受け止めバックアップ電源の系統を増やしておけば・・。

※ 原子炉が停止したときの崩壊熱を除去するには、このとき出ている蒸気を用いて蒸気タービンを回して冷却ポンプを稼動させるって言ってるが、バックアップを考えていれば・・。

※ 多度津の起震台を廃棄処分せず、老朽化した原発施設の耐震実験を行っていれば・・。

※ 中越沖地震の教訓を、設備や構造物の安全性UPに目を向けていれば・・。

個人が”たられば”なら、怒られたり地団駄踏んだりすれば済むことだが、
国が・・・・・
電力会社が・・・・・
管理・監督をする立場の者が・・・・・
報道するマスコミが・・・・・。

 私も Once upon a time ”K・K原発”で働いていた事がありました。
昔のアルバムの中に当時の写真が何枚かあったので、記憶が正しければ昭和56年の頃です。
この少し前に、”緑の新規入場者ヘルメット”を換えてもらったような。
月例朝礼で、何かの個人表彰をやっていた記憶がある。 さてここで問題です、私は何処でしょう?

1号機の全景。 確か春から夏くらいの記憶が・・。

主だった親方(職長)は、福島を経験した人達だった。
北は北海道から九州は沖縄と、全国から非常に優秀な 職人さんたちが集まっていたと思う。

ちょっとお茶目な小指の短い鉄筋屋さん、暑い夏には汗でクッキリ背中に鯉を飼っている鳶さん、
同時通訳が必要な青森の型枠大工さん、真冬でも手袋をした事がなっかた加治屋さん、塗装中に深呼吸をすると元気になる塗装屋さん、足の指の骨を何本か折っても病院にも行かず休まなかった鉄筋加工場のおっさん、下ネタ大好き地元の安全専従員さん等々、個性に満ち溢れたすばらしい面々でした。
今でも、いい勉強・経験をさせてもらったと思っています。

建設に携わった人間にしてみれば、今後ここを含め二度と、”たられば”になって貰いたくないと思います。

2 件のコメント:

  1. 貴重な写真を拝見させていただきありがとうございます。
    K・K原発は、高校の研修で見学したことがあります。
    その時に”安全”を繰り返す説明が気に食わず、設計を超えた場合について質問したところ”空気の読めない男”状態にされた嫌な記憶があり、それ以来、原発嫌いに・・・。
    ”薬師如来”の完成、心待ちにしております(^―^)

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  2. 何度か見学者さんたちを見た記憶はあります。
    建設に携わった人たちは、こんなにことになると思っていた人は誰一人いないはずです。

    欧米の人たちの素早い反応は、危機管理のレベル差をまざまざ見せ付けられているように思えます。
    島国日本のいいも悪いも全て出ているような・・・。

    この2・3日の天気でやっと庭の雪が消えたので(北側はまだある)冬囲いを外そう・・・春は来るかな?

    福島はこれからドーム的な囲いで覆うみたいな話が。

    その後、薬師如来に挑戦してみよう。

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